どうせなら納得のいく遊び方をしたい。そういうわけで、
チャロンもまだ自分の中で悪くないが…。
・D0
ひっそり相手募集かな。自分でも探すけど。
ボックル残党を引きこむのが正解?
そりゃ、人が生きることが永遠に許されるならずっと趣味やってます。
だけど、んなわけはなく。
学生生活を楽しめる時間ももう長くはないから、いろいろやりつつ未来に目を向けようと思う。
去年を思い返して感じたのは、自分が今まで生きてきた世界はあまりにも狭すぎること。
人と出会う機会が多少増えたとはいえ、まだまだ少ない。
ここ数年で、無難に生きることばかり重視して目を外に開く心を胸の奥にしまってしまったのかも。
そんな生き方するにはもう少し早いかなと。
これからは大切にして生きよう。出会う相手と、人と出会う機会を。
特に蒸し返す気もないんですが一応気になったので。
ゲームの楽しみ方とか別に人それぞれでいい。
てゆーかそうでなきゃつまらん。
楽しみ方へのアプローチの方向が1つしかないゲームとかとてもやる気になれない。
誰一人として違わずひたすら、例えば「レベル」「金、アイテム」「勝利」を追い求めるゲームっておもろいですか?
(魔物を倒してあげる事のできる)レベルはともかくとして、それ以外は他人の思惑が絡んでくる。
なのに、全員が同じモノ、同じ価値を求めるとなると超殺伐として絶対つまらんと思います。
少なくとも私個人は受け入れられない。
完全まったりもだるいけど、コミュニケーションとれるゲームで殺伐としまくるのもちょっと。
私は主に対戦ゲーやるけど「勝利」より「勝利に至るまでの駆け引き」が目的なんで
内容が伴ってれば負けても腹は立たない故、勝利を求める人とは合わないかもしれません。
目に見える価値を否定するわけではなく、私もどちらかといえばそのような要素は重視するけれど
道を外れてそうでない人と話をすると面白い。同じゲームなのに違う世界が見えてくる。
それが面白いんじゃないですかね?
価値観が程々に違うからこそ良いんですよ!
違いすぎれば噛み合わないのは当たり前だし同一ではつまらない時も出てくる。
同じゲームをやってすら楽しみ方が違うときがあるのに、
世の中にこれほどゲームが出回っていて全く同じ楽しみ方を求めるのもちょっとねえ。
世の中の趣味やらなんやらはかなり多様化している(ゲームだけ見ても色々ありすぎる)けれど、
人間が「同種を肯定する事は簡単だが、異質なものを理解する事は困難」で、
後者を特に意識しないといけない(実際にどうするかはともかくとして)のだろうなあ、と近頃思う。
全員が絶対に全一(全国一)を目指さなきゃいけないなら私はゲームなんてできません。
世の中には全国大会のためにセンター試験を蹴る猛者もいる(!)けど、
とてもそこまでやろうと思わない(普通やらんでしょ?だからこそ伝説になるわけで)。
もっと生産的な趣味なんて他にいくらでもあるし、おそらくやめるでしょう。
確かにゲームやるからにはある程度頑張るけど、せいぜい自分のできる範囲+α程度。
自分ができる以上のことをするわけでもないのにそれすらも理解してもらえないことも少なくない。
かつて(元)知人に、「所詮ゲームだし、気合入れてやる意味がわからない」と言われたことがある。
ゲームは私より結構よくやるけど、感動した事は全然なさそうな彼。ゲームの楽しみ方に関しては私とは全く違う人種。
その発言に対する思うところ。
「『所詮はゲーム』で収まるからリスク考えずにできるんですよ!」
それ以上のものであれば怖くてできない。失敗しても命取られるわけじゃないから良いんです。
もしもゲームの技量で学生の進路が決まってしまったりしたら、と考えるとぞっとしませんか?
ありえない(あってはならない)けど、そんなことになれば楽しむためのゲームという範疇を越えてしまう。
ゲームは楽しむためにある!
(まあ、特に対戦ゲームで楽しむための過程で苦しむ事はあるけど、それはそれで。
乗り越えたら苦しんだ分楽になるはずだし)
楽しむだけならフォースでいうところのCPUオンリー人でもできるし。正直それは肯定したくないがw
まあ、自分と違う(楽しみ方をする)ことにもっと寛容でありましょうや、ということで。
初コメントきた〜?と思いきや宣伝。おんらいんぽーかーとかしらねーよw
もしや荒らされた?
ただの宣伝だと思いたいが…適度に暇を見つけて削除する予定。めんどくさいなぁ。
ゲームのやり方について。
私の場合、上級者を倒す!とか意気込むと続かない。
昔から、対戦相手を殺す気まんまんでゲームできんのです。
読み合いせめぎ合いの内容を楽しみつつ、そこから勝ちに繋げるプロセスを楽しんでるだけ。
格上相手や不利な状況を工夫してひっくり返すのが面白いんですよ!
まぁ、そのために必要な最低限の下地は必要だけどね。
私には競技スポーツやゲームを極めるための適性はないはず。
純粋に「勝つ」ためや「潰す」ためには原則的にゲームやらないし、やっても長続きしない。
「ゲームをやる理由」を構成する要素のうち勝利の優先度がそんなに高くない。極端に低くもないが。
楽しめるかもしれないが優勝者にはなれないな、とか思ったり。
でも、そんな自分の性格を知った上で「工夫」して頑張るのがまたおもろい。
自己満足の積み重ねで行けるところまで行きますよ?
…これが「向上心」ってことでいいんだろうか?
ここまではいいんですよ。自己完結してるから。
問題は私自身の人に対する「向上心」の許容範囲が狭いってこと。
了カイにドローアンタップするなとか(M:tgネタ)、ロリえびちゃんに対戦50戦/月やれと言うとか。
あと、無気力な人にやる気出せとか。
人の向上心あるなしを主観で勝手に決めてああしろこうしろと言ってしまうのがよろしくない。
許容範囲が狭すぎるよね。
了カイは某エイジやりこんでる、ロリえびちゃんはできる範囲で頑張ってるからいいじゃん、と。
もしその人のやる気に不満なら他の人を捜すべき。
人の向上心は変えられない、ことはないかもしれないが変えにくい。
逆に、他の人が超やる気がある(チャロンなら上級者を打ち倒すとか)場合、
「俺って向上心ないからもう無理」と落ち込んでしまうことがある。
これもどうかなと。
やる気がないとグループから除外される場合ならともかく、そうでないなら工夫はできるはず。
「向上心は人それぞれ」と自戒のために書いておきます。
まだまだ自分中心に世界を見すぎだね、反省反省。
向上心といえば「精神的に向上心のないものは、ばかだ」を
連想するけど、今回の日記とは全然関係ないね。
これについて書くとややこしくなりすぎるし、ツッコミどころ満載なものができるのは間違いないわなw
と…初めに書きたかったことがまとまってない。また今度に。
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